私が知った初めての洋楽。
かけがえのないあの歌声、今はもう録音でしか聴くことができません。
好きな曲はたくさんありますが、
割と後期の曲で邦名「青春の輝き」(I Need To Be In Love)は大好きなもののひとつです。
恋に破れた女の子が、わかってる、立ち直らなきゃ!というタイミングの歌かもしれません。
I need to be in love.
直訳すると、私はラブの状態である必要がある、といったところでしょうか?
それがよく「青春の輝き」になったとは思いますが、置いておきましょう。
さて、その歌詞のサビの部分にこういう件があります。
I know I need to be in love
I know I've wasted too much time
I know I ask perfecton of a quite imperferct world
and fool enough to think that what I'll find
意訳すると
わかってるわ、恋をしなきゃ
わかってる、ずっと遠回りしちゃった
こんな不完全な世界で、
完璧さを求めた自分が間違っていたこともね
それはあなた、違うよ、と思われるかもしれませんが、
今の私たちの周りのおかしな空気感、なんとも言えない息苦しさ。
タレントや政治家などの発言の一部を切り取り「この人はこんなひどいことを言っている」と宣伝し、それを見た人はその発言の意図も前後の流れもなしにそこだけを見て「こいつは悪い奴だ!」と、思うだけならまだしも、他の人にそれを拡散する。
自分の不完全さを棚に置いて、他人の不完全さは許さない。
ほぼ毎日のように見聞きします。
”そりゃ人間ですし間違いはあるわな”という考えが通用しない今の時代、
この歌詞を読んで考えさせられました。
この世界はイン・パーフェクト(不完全)なのに、他人にパーフェクトを要求してもはじまらないわと。
そうなんです、この世の中って誰も予想できないし、操作もできない。もしかしたら明日心筋梗塞で倒れるかもしれない、宝くじに当たって数億円を手にするかもしれない、自分自身のことでさえわからない。
不完全、不確実なものなのですね。それをどこかで理解しているのに、他人のそれが許せない。
100円のものを買うのに1,000円札を出したら899円でもなく901円でもなく、きちんとおつりは900円、というのは完璧でなくてはなりませんが、おつりの渡し方が気に食わないとか、普通500円玉と100円玉で渡すものだろ、とか文句を言っても、「お客さん、この世の中はそんな完璧じゃないのよ」と言いたくなります。
この世の中がパーフェクトじゃないのに、そこだけ完璧さを求められても困ります、と言って相手が「それもそうだな」と思えるようになれば、この世の中もっと穏やかに暮らせるようになるのではないでしょうか?
昭和の人間はこのやり取りが暗黙の了承だったように思えます。
ふと思い出した歌ですが、カレンの美しい歌声が今の時代の私たちに呼びかけているように思えてなりません。
そんな大袈裟なことなんじゃないの、これは恋の歌なのよ、おっしゃるかとは思いますけど。