さらば日本マリン熱 から25年経って  その1

92年に私は「さらば日本マリン熱」ダイヤモンド社)を出版させていただいた。

題名どおり、日本のマリン熱は燃やしてもすぐ消えてしまうくらい素地ができていないということが表の要点。

素地というのはひとつ、海をとりまく法律や環境。

船を操船するのに「免許」、無線を発信するために「免許」、船を買うと「船舶検査」……この類は多数例を挙げて説明した。ただ、これらは今さら私が指摘しなくても、先輩達が言ってきたことだ。

いっぽう、日本のマリン事情を鍋に入れて煮詰めていくと、最後に結晶というべきかコゲというべきか底に残るものがある。それが何だかはじめはわからなかったが、あろうことか、よく見てみるとその正体は「私たち日本人特有のマインド」だったというのが裏の要点、言いたかったオチだ。

 

ニュージーランドやアメリカで海の業界を経験した私は、日本の海をとりまく環境がいかに世界的に珍しいかがわかった。日本は奇跡的に素晴らしい国だということも伝えたいが、ことマリン事情においては、先輩方が指摘する“(海洋先進国に)遅れてをとっている”のでははく“違う”ということをわからないと話が始まらない。

 

どうか試してみてほしい、あなたの家族や友達に「ボートで海行って釣りしたいから、今度、船の免許取りに行くんだ」と言ったら、どういう反応を示すか。

すごいね~、いくらかかるの? 試験は難しいの? 使う機会あるの? と聞く人はあっても、遊びで船を動かすのに免許があるなんておかしいよ、と指摘する人はまずないだろう。

車やバイクなど、乗り物に乗るには「免許」という社会に慣らされているからだ。不思議に思わない。

世界中どこを見ても、遊びの船で遊びに行くのに、無線機を使って近くの船と交信するのに国務大臣が発行する免許証をもつ人でないとダメ!、とする国は日本くらいなのに。

 

このブログで25年経った「その後」を追っていきたいと思う。さすがに25年の間に制度が変わったところもある。

だが、大筋は何も変わっていない。